いつも参拝している氏神神社の境内で鳩が1羽、地面をついばんでいた。
周りを見渡しても、仲間はいないようである。
"ひとりぼっち"ならぬ"1羽ぼっち"
まあ、他愛もなく、何の変哲もない光景だけれど、ふと、先日書いた下記の記事を思い出す。
大空を仲間といっしょに楽しんでいる鳩たちを見ているだけに、何だか目の前にいる鳩が少々不憫に思えてきた。
仲間と戯れる鳩と1羽ぼっちの鳩。
あまりにも対照的であり、いろいろと考えてしまった。
果たしてどちらが鳩にとって幸せなのだろうか。
仲間といれば、それなりに楽しいけれども、その分、諍いも増えるだろうし、気苦労も多くなる。
反対に1羽(ひとり)ぼっちは、傍から見れば、寂しそうに映るけれども、案外、本人にしてみれば、誰にも気兼ねなく、自由気ままに楽しんでいるのかも知れない。
まるで、人間社会そのものだ。
まあ、結局は、自分が心地いいと思えるスタイルであれば、仲間といようと、ひとりでいようとどちらでもいいんじゃねえ?ということだな。
1羽ぼっちの鳩を見て、反射的に不憫と思ってしまうのは、まだまだ了見が狭いってことだね。
反省。